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静岡地方裁判所沼津支部 昭和60年(ワ)71号 判決 1989年7月13日

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一  申立

一  原告

「1 被告は、原告に対し、金九一九万一七二六円及びこれに対する本件訴状送達の日の翌日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は、被告の負担とする。」

との判決並びに仮執行の宣言を求める。

二  被告

主文と同旨の判決を求める。

第二  主張

一  請求原因

1  原告は、昭和四四年七月二九日生まれで、昭和五七年五月二九日当時、被告の設置する三島市立南中学校(以下「南中学」という。)に中学生として通学し、一年三組に所属していた。

2  右の昭和五七年五月二九日当時、被告は、教諭として訴外稲垣隆二(以下「稲垣教諭」という。)を任用し、南中学一年三組の学級担任を担当させていた。

3  昭和五七年五月二九日の午前一一時五〇分頃、南中学一年三組はホームルームの授業中で、教室内において机と椅子の大きさ(号数)調べが行なわれていた。

原告は、椅子から立ちあがり再び腰を掛けようとした際、同級生の訴外柴田徹(昭和四四年九月三〇日生、以下「訴外柴田」という。)に椅子を後方へ引かれたため、床に尻もちをついてしまった。(以下この事故を「本件事故」という。)

4  原告は、本件事故により、尾骨打撲、腰部椎間板ヘルニア等の傷害を負った。

5  原告は、前記傷害の治療のため、次のとおりの入通院をした。

(一) 鈴木整形外科医院へ昭和五七年五月三一日から同年九月二五日までの間通院(実治療日数五九日)

(二) 湯河原厚生年金病院へ昭和五七年九月九日から同年一〇月一八日までの間通院(実治療日数三日)

(三) 渡辺整形外科医院へ昭和五七年一一月一一日から昭和五八年一月二六日までの間通院(実治療日数一二日)、昭和五七年一一月一八日から同年一二月二四日までの三七日間入院

(四) 七沢障害・交通リハビリテーション病院へ昭和五七年一二月二七日から昭和五九年一月二五日までの間通院(実治療日数一九日)、昭和五八年一月二七日から同年五月二八日までの一二二日間入院

(五) 順天堂大学医学部附属順天堂病院へ昭和五九年一月二〇日から現在も通院中、昭和五九年二月二八日から同年三月三〇日までの三二日間入院

6  原告は、本件事故までは健康で、病気などほとんどしたことがなかったが、前記傷害を負ってからは左足を引きずって歩くようになり、しかも三〇分程度歩くのが限度で、また、腰痛のため長時間は座ってもいられない状態となってしまった。このため原告はやむを得ず遅刻や早退を繰り返すようになり、その後治療のため入院したこともあって学校へはほとんど通えず、昭和五八年六月には沼津市立金岡中学校へ転校し、再度一年生として通学するようになった。

金岡中学校へ転校してからも、懸命の治療にもかかわらず、原告の身体の状態は余り良くならず、腰、膝、股のつけ根などが痛み、現在でも足を引きずって歩くような状態である。

7  原告が本件事故により蒙った損害の額は次のとおりである。

(一) 治療費 五八万五二四〇円

内訳

(1) 鈴木整形外科医院分 二万四七〇〇円

(2) 渡辺整形外科医院分 一六万二四九八円

(コルセット代一万四〇〇〇円、診断書代八〇〇〇円を含む)

(3) 湯河原厚生年金病院分 五五四四円

(4) 七沢障害・交通リハビリテーション病院分 二九万二八九九円

(文書料六一〇〇円を含む)

(5) 順天堂伊豆長岡病院分 九万九五九九円

(二) 交通費 三八万五六二〇円

(三) 入・通院諸雑費 四二万〇八六六円

(四) 慰謝料 七〇〇万円

(五) 弁護士費用 八〇万円

8  本件事故当時の南中学一年三組では、数学、英語、国語等の通常の授業ではなく、ホームルームの授業中であったのであり、しかも机、椅子の号数を調査するという作業をなすため、雑然とした状態になり本件のようないたずらが発生しやすい状況であったのであるから、稲垣教諭としては、生徒に対し、事前に、いたずらをしないよう十分な注意をなす必要があったのであり、右作業中においても生徒の動静を観察しているべきであったものである。しかるに、稲垣教諭は生徒に対する前記注意をなさず、また生徒の動静の観察を怠ったため、本件事故を発生させたもので、稲垣教諭にはこの点に過失がある。

そして、本件事故発生の頃、南中学一年三組では、生徒間に本件のような「椅子の引きっこ」が流行していたのであるが、この「椅子の引きっこ」はたわいのない遊びとはいえ、本件事故のように不意をつかれて椅子を引かれた者が尻もちをつくなどして怪我をするおそれがあるのであるから、稲垣教諭としては、担任の一年三組の生徒らに対しこのような「椅子の引きっこ」をしないよう注意すべきであったのにこれを怠ったため、訴外柴田に本件のような行動をとらせてしまったのであり、稲垣教諭が一年三組の生徒の間に「椅子の引きっこ」が流行していることを知らなかったとすれば、担任教諭として生徒の動向の観察が不十分であったことになるのであって、いずれにしても稲垣教諭には過失があったことになる。

9  右のとおり、被告が任用する公務員である稲垣教諭の過失により、原告は前記の損害を蒙ったのであるから、被告は国家賠償法一条により原告の右損害を賠償する義務がある。

10  よって、原告は、被告に対し、損害賠償金九一九万一七二六円及びこれに対する、本件事故の日よりのちの本件訴状が被告に送達された日の翌日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1は認める。

2  同2は認める。

3  請求原因3については、「ホームルームの授業中」との点及び「机と椅子の大きさ(号数)調べが行なわれていた」との点を否認し、その余は認める。

昭和五七年五月二九日の午前一一時五〇分頃は三時限の学級指導、学級会の時間で、当時一年三組の教室で行なわれていたのは、机と椅子の規格ごとの個数調査である。

4  請求原因4については、腰部椎間板ヘルニアの傷害を負ったことを否認する。その余は知らない。

5(一)  請求原因5(一)については、昭和五七年五月三一日から同年八月三一日まで通院(実治療日数五〇日)の限度で認める。

(二)  同(二)は認める。

(三)  同(三)は認める。

(四)  同(四)については、昭和五七年一二月二七日から昭和五八年五月二八日まで入院(入院日数一二二日)として認める。

(五)  同(五)は否認する。

6  請求原因6については、原告が沼津市立金岡中学校へ転校し、再度一年生として通学するようになったことを認め、その余を否認する。なお、原告の右転校は、昭和五八年五月三一日のことである。

原告には、脊椎・脊髄の損傷は認められず、腰部椎間板ヘルニアは否定され、左膝の損傷も認められていない。本件事故の態様から通常発生する傷害は臀部の打撲症であるが、原告が主張し、あるいはその本人尋問で供述している症状のほとんどは臀部の打撲とは結びつかず、本件事故の際原告が尻もちをついたことと因果関係はない。

7  請求原因7は争う。

8  請求原因8の稲垣教諭の過失は否認する。

(一) 稲垣教諭は、机と椅子の個数調査を、該当の机、椅子を使用している生徒を起立させる方法で行なっていたもので、この調査に応じていったん原告が起立して着席しようとした時、訴外柴田が椅子を後方へ引いたため、原告が椅子に座れず床に尻もちをついたものである。

当時本件のような生徒のいたずらが流行していたわけでなく、又授業中にかかるいたずらをする生徒はいなかったから、稲垣教諭が個数調査を開始するに当って、その他のいたずらを含め、生徒に特段の注意を与えることが必要な状況は存在しなかった。

そして、同教諭は教室で生徒に対面して個数の調査に当っていたもので、生徒達の動静に注意を払っており、又注意を与えるべき生徒の動きは認められなかったものである。

(二) 原告は、「生徒の動静に十分注意せず、訴外柴田のいたずらに気づかず、本件事故を発生せしめたものであるから、稲垣教諭にはこの点において過失がある。」と主張する。

本件の訴外柴田によるいたずらがなされたとき、稲垣教諭は、机と椅子の規格ごとの数量調査を実施中で、このいたずらを目撃しなかった。しかし目撃しなかったのは、生徒の動静に注意をしていなかったからではない。

いたずらがなされた場所は、教室の後方で右教諭から最も遠い位置であり、数量調査のため生徒が立ったり座ったりし、同教諭が起立している生徒を数えている間にいたずらがあり、しかもいたずらは一瞬の出来事であった。

すなわち、前記教諭が気付かなくて当然という状況下でいたずらが行なわれたのであって、これを目撃しなかったことについて同教諭の過失を考える余地はない。まして同教諭が事前に右いたずらを察知することは不可能であった。

事前に察知し、制止できるようないたずらではなかったのである。

(三) 原告は、「稲垣教諭において自己の担任する一年三組の生徒間に椅子の引きっこが流行していることを知らなかったとしたら、そのこと自体担任として生徒の動向の観察が十分でなかった過失があったものである。」と主張する。

しかし、当時本件のごときいたずらは流行しているという状態には至っていなかったものである。

いたずらは教員の眼に触れないところで行なわれるのを常とし、たまたま教員が目撃するか、生徒から教員に通報がないといたずらの流行は教員に判らない。

当時本件のようないたずらは流行していなかったし、生徒からの通報もなく、稲垣教諭は本件のようないたずらが行なわれていることを知りえなかったから、同教諭にはいたずらを知らなかったことについて過失はない。

(四) 中学校における教員と生徒の関係の基本は、「心身の発達に応じて、中等普通教育を施すこと」にある(学校教育法三五条)。その教育目標の一つとして「健康、安全で幸福な生活のために必要な習慣を養い、心身の調和的発達を図ること」(同法三六条一号・一八条七号)があるが、安全教育は教育目標の一部であって全部ではない。

この安全教育のほかに、教員が生徒の安全に注意すべきは当然である。

教員の右注意義務は、教員の置かれた具体的な状況によって決まるものであるが、教員にとって事故が予見可能で、かつ回避可能であることが、注意義務の前提である。

9  請求原因9は否認する。

三  抗弁(損害の補填)

1  原告は、日本学校安全会法及び日本学校健康会法に基づき、次のとおり医療費の災害共済給付を受けた。

(一) 鈴木整形外科医院分 二万八二〇四円

(二) 湯河原厚生年金病院分 七三九二円

(三) 渡辺整形外科医院分 一一万二七八〇円

(四) 七沢障害・交通リハビリテーション病院分 三五万九四八二円

(五) 順天堂伊豆長岡病院分 二〇万九一八〇円

合計 七一万七〇三八円

2  原告は、訴外柴田の両親である訴外柴田徹及び同柴田糸子から次の支払を受けており、この支払額は損害の填補として控除されるべきである。

(一) 鈴木整形外科医院分 一万一三六〇円

(二) 湯河原厚生年金病院分 二万六六三〇円

(三) その他 三万〇〇〇〇円

合計 六万七九九〇円

3  原告と、もと共同被告であった前記の柴田徹及び柴田糸子間には昭和六三年七月一二日訴訟上の和解が成立し、この和解に基づき原告は右両名から一四〇万円の支払を受けたので、損害填補として右一四〇万円が控除されるべきである。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1については、昭和五七年から昭和五九年の間に原告が日本学校安全会等から給付を受けた金員は左記のとおりである。

昭和五七年五~八月分 二万八二〇四円

五七・一二・二二 六四二八円

五八・一・二四 九六四円

五八・二・二六 四万四六五六円

五八・四・二一 一〇万六〇八〇円

五八・五・二三 八万一八七九円

五八・九・六 七万八七三〇円

五八・一一・一〇 一〇九二円

五九・(不明) 二万六一〇四円

五九・一・三〇 四三八〇円

五九・三・一七 一万七一八四円

五九・七・一八 四七〇八円

五九・七・一八 一〇万六二九六円

五九・一〇・二四 七七一二円

合計 五一万四四一七円

2  抗弁2については、訴外柴田徹らから被告主張の支払があった事実は認める。

ただし、「その他」とあるのは見舞金のことと解釈した。

3  抗弁3については、原告が柴田徹らから一四〇万円の支払を受けた事実は認めるが、これは解決金として支払われたものであり、同額の損害が填補されたとの被告の主張は争う。

第三  証拠<省略>

理由

一1  請求原因1は当事者間に争いがない。

2  同2は当事者間に争いがない。

3  同3については、ホームルームの授業中であったこと及び椅子の大きさ(号数)調べが行なわれていたことを除いて当事者間に争いがない。

そして<証拠>によれば、本件事故が発生したのは三時限の学級指導、学級会の時間中で、当時、生徒が使用していた机及び椅子のそれぞれについての規格号数別の数量調査が行なわれていたことが認められる。<証拠>中には右と相違するかのような供述がみられるが、前記証書と対比すると、右供述は同一の事実につき異る表現がされているにすぎないことが明らかである。

二  請求原因4ないし7の、原告の被害ないし損害についての判断をひとまず措き、請求原因8の稲垣教諭の過失の有無について判断する。

1  本件事故発生当時、南中学一年三組は学級指導、学級会の時間で机及び椅子の数量調査が行なわれていたことは既に認定したところであり、<証拠>によれば、本件事故のあった昭和五七年五月二九日は土曜日で、前記数量調査は当日の授業終了の間近い三時限の終り頃に実施されたものであること及び右数量調査は机等の規格号数ごとに順次当該机等を使用している生徒を起立させて、稲垣教諭がその起立した生徒数を数える方法をとったことから、教室内のあちこちで生徒が起立したり号数標示の確認などがなされていたことが認められ、<証拠>によれば、右数量調査中の教室内はややざわついていたことが認められる。

右に認定の当時の南中学一年三組の教室内で実施されていた作業の内容やその時間帯などからすると、全生徒が着席し静粛になされるのを原則とする一般教科の授業と比較するかぎりでは、生徒の緊張が解け、いたずらなどの逸脱した行動に出やすいといいうるところ、<証拠>によれば、稲垣教諭は前記数量調査の実施に際し生徒らに対しいたずらなどの軽率な行動に出ないようにとの注意を与えなかったことが認められる。

しかしながら、<証拠>によれば、前記数量調査は担任の稲垣教諭自身が教室前方の黒板と教卓の間に立ち、生徒の方を向いて起立した生徒数を算定するという方法をとったもので、担任教諭が退室して調査を生徒にゆだねたというものではなく、また右調査の所要時間は五分程度であったことが認められるから、前認定の原告ら生徒が当時中学一年生であったことをも合わせ考慮すると、稲垣教諭が前記数量調査の実施前あるいは実施中に生徒らに対し、生徒間のいたずらなどの授業目的からはずれた行為に出ないよう一般的な注意を与えるべき義務があったとは解されない。

2  稲垣教諭が本件事故発生前に本件のような腰掛けようとする直前に椅子を引くといういたずらの発生を予見し本件事故の発生を回避しえたとの判断を導き出すに十分な事実を認めるに足りる証拠はない。

すなわち、<証拠>によれば、訴外柴田は、本件事故前に、一年三組の教室内で右のような椅子を引くいたずらを二ないし三回目撃しており同人自身も一度このいたずらの被害者となったことがあることが認められるが、南中学一年三組所属の生徒あるいは同中学在校生の間で本件事故の頃右のようないたずらが流行していたことを認めるに足りる証拠はないし、稲垣教諭が南中学一年三組所属の生徒更には同中学の在校生の日常行動、同僚教諭の会話、生徒からの通報などに注目配慮していれば、担任する生徒の中に本件のようないたずらに及ぶ者が出るかもしれないことを予測しえたはずであるとの事情を認めさせる証拠もない。そして、ことがらの性質上、相手方に気付かれないよう一瞬のうちになされる本件のいたずらを稲垣教諭が予知しこれを制止することが可能であったとの状況を認めるに足りる証拠もない。

三  右のとおり、被告の任用する公務員に原告主張の過失があったことは認めえないから、その余の点について判断をすすめるまでもなく、国家賠償法一条により被告に対し損害の賠償を請求する本訴請求は理由を欠くことが明らかである。

よって、原告の請求を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 秋元隆男)

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